誰しも生きていれば、物事が順調に進んだり、やる気に満ちている時もあれば、裏目に出たりスランプに陥ることがあります。一人ひとり人生はどう進んでいくのか分からないので、自分の方向性が合っているのかどうか分からず不安や停滞が続いてしまいます。ここではそんな心を重くなった状態の時に心を軽くする方法について触れてまいります。
心を軽くする為にシンブルな表現をすれば、心を重くしているものを突き止め、その重くしているものを解決することです。
軽い重いは相対的ですから、必ず今の重い心の状態よりも軽い時があったという事を知る必要があり、重くしている原因に目を向けずに解決することは難しいでしょう。心を重くしている原因が例えば仕事など環境が原因であれば退職、転職をすれば何かの変化をもたらされるかもしれませんが、だからと言って、じゃあ会社を辞めようとできない場合の方が圧倒的に多いのではないかと思います。
こういう場合は、まず会社を辞めないということをご自分できちんと決断されることです。ここでの決断というのは、何となく仕事をしている、あるいは逃れたいとの思いで仕事をしているなど自分がフラフラ、しっかりと地に足をつけてない場合で、そういうブレる自分を明確な自分にすることです。決断をすると余計に重くなるとお考えの方も多いかもしれませんが、決断とは決めて断つこと、何を断つかというと決めないということを断つということです。
優柔不断という言葉がありますが、これは決められない状態を指すわけですが、この状態というのは決めないという状態のままフラフラしていることを言い、何かを決めるという事は何かを捨てることにもなり、その捨てたことによって少しずつ決めたものに対して成果が出てきます。
手に入れられるものと手に入れられないもの
人は幸せを欲する生き物ですが、手に入れられるものと手に入れられないものがあります。誰でも億万長者になれるわけではありません。誰でも長寿を全うできるわけでもありません。
だからこそ、自分の人生を受け入れるべきであり、最終的に余裕のある、ゆったりとした人生を手に入れたいと思うのであれば、その自分が望む人生、状態にする為には、このブロセス、今の悩みや葛藤を経ないと到達できない、つまり必然的に通らなければいけない道だということを悟るべきです。
人生の中でどんな幸福が待っているのか、どれくらい苦労しなければならないねかも人それぞれ。人生の創造とは自らの人生を受け入れることから始まります。人生は人に騙されたり、十分な教育を受けられなかったり、いわれの無い誹謗中傷を受けたりと、試練も様々ですが学生時代に、イジメを受けた全ての方が辛い人生を送り、人生を放棄し、自分を境遇を恨んでいるかと言えば違います。
そういうイジメの体験から貴重なものを得て、そこから多くを学んで大成してらっしゃる方もいます。何が幸いして何が不幸につながるのなど分かるはずはない。分かるはずがないから、どうすべきかと言えば、常に幸せになる意志を放棄せず、今の環境から多くを学び、自己を成長させることです。
結局のところ逃避的に生きているより、積極的に生きている方が長い目で見れば、幸せの近道をしているのであり、今の環境がどうであれ、その先に幸せが待っている。一生の内で苦労しなければならない総量があるわけです。言い方を変えれば幸せになる為に必要な努力量、苦労の量も人それぞれ決まっているわけです。
逆に言えばAさんはその経験しなければいけない苦労の量が100であったとしても、ご自分はもっと少ないかもしれませんし、もっと多いかもしれません。
だからこそ他者との比較は無意味であり、一般的な基準などを用いてご自分を考えるから、余計自分を見失うのです。
心で何かを感じながら生きるのも大切です。しかし無心という言葉があるように心を入れず、心に触れず、がむしゃらにやるべき事に専念するのが大切な時期もあります。
努力や苦労の総量
先ほど、必要な努力量、苦労の量も人それぞれで決まっていると申し上げましたが、これを分かりやすく説明するとお金です。一生生きていく為に必要なお金の量は決まっています。無限に必要なわけではなく普通の生活をしていて80歳まで生きたら…と、きちんと計算できるわけです。だからそのお金を稼ぐ為に必要な努力量や苦労の量も決まっていると考えられます。
ですから必ずゴールはある。そのゴールにどういうペースで歩んでいくか、どういう方法かは人それぞれですが、必ず前進しているわけです。そのゴールを絶対に見失わず、ご自分の大切な人生を歩んでいただきたく思います。
どうせ苦労するなら体も頭も動いている若い年齢の時がいいに決まっています。若い時の苦労は買ってでもしろという言葉がありますが正に真です。ですから、早い目に消化しておこう。どうせ経験しなければいけないのだったら前向きな気持ちで乗り越えよう…。そういう心構えが大切なような気がします。