何かにチャレンジすることは人生の中で誰しも一度はあることでしょう。果たして努力は報われるのか?それとも報われないのか?報われないならその理由は?そして誰も言わない努力の危険性、名言など深く考察してまいります。
そもそも何なのか?正論は?
そもそも努力とは何でしょうか?
頭や体や時間、知識や経験や創造力を活用して目的を果たそうとする行為。
この努力について偉人や一流と言われる方は皆さん当たり前のように努力の大切さを述べられているわけですが努力は報われないと思ってらっしゃる方からすると反論したくなったり、人によってはそういうポジティブと言われる名言や言葉を受け付けない方もいるはずです。
まず努力は継続された行動を指しているかと思いますが、継続的に目的の為に努力をしても叶うわけではありません。
努力が叶わない理由は?恋愛や仕事や受験
一部では正しい方法で継続的に努力をすれば、実現するだとか、叶うまでやり続ければ叶うという言葉をありますが、この言葉自体に正しいも誤りもないでしょう。
それは何故か?順を追ってお話しさせていただきます。
それはこの世の中の制度を見れば、すぐに分かります。
例えば受験です。志望校の定員が100人に対して志願者が150人いたら願いが叶わない人が50人になります。
次に恋愛、Aさんと結婚をしたいと片思いをしている人が10人いても日本は一夫一妻制ですから結婚できるのは一人です。もちろん離婚するまで諦めないとかAさんが離婚をしたらチャンスは訪れますが、それはそれとして叶わない人は必ず出てきます。
こういう風に叶えたい対象に数の限りがあるもので、その数よりも欲しいと願っている人が多い場合は当然叶わない人が現れます。
仮に定員など数に限りがないものについても叶わない場合があります。それは才能や資質が認めてもらえない場合です。
例えば漫画家になりたいと出版社に原稿を持っていきました。出版社側としては決して定員を設けているわけではなく、才能があると認めた方にはどんどんデビューをさせたいと思っていてもその基準を満たしていないので叶わない場合もあります。
こういう部分からの解釈となると努力は報われないのは正論であると結論づけることができます。
結論
仮に受験や就活に失敗したとしましょう。じゃあ努力は報われないとの結論を出すべきですか?
要するにこういうところがポイントになるのではないかと思います。
例えば、未来は誰にも分かりません。明日交通事故に遭うかもしれません。明日死ぬかもしれません。もっと言うと人っていつか必ず死にます。
必ず死ぬという法則があって、どんなに成功してもどんなに失敗をしても、いつか必ず人生が終わるんだから努力なんてしなくてもいい、あるいは死ぬのは分かっているけれど、生きている間に色々なことにチャレンジをしたい。
これを努力に置きかえると、努力は必ず結実するかどうかなんて、先ほどの未来と同じで誰にも分からない。誰にも分からないし確証はない。
その上であなたはどうしますか?というだけのお話しであって、努力は叶うとおっしゃる偉人や一流の領域に達した方は実現しているわけですから努力を肯定するのは当たり前、逆に言えば自分の願いが叶わなかった方の中には努力なんって報われない、虚しいとおっしゃる方もいますが、こうおっしゃるのも当然でしょう。
要するに努力自体に特段の意味はないわけでして、言葉は何を言ったかではなく”誰が言ったか”も重要なのです。
異なる角度からの努力の考察
一流の方がおっしゃる、努力に関する言葉は自分が叶ったから言えているだけなのか?私は一部そうだけれども全てではないと思っています。つまり言葉は、その言葉に含まれる前後の言葉、文脈によって意味は異なってきます。
「努力は叶う」といった短い言葉は核心、本質を突くと同時に読み手に様々な想像力を与えます。「努力は叶う」の前に、こういう条件だったら叶うとか、こういうやり方でこれくらいの期間で行えば叶うとか、具体的に説明して下さいという前提を与えられれば、様々な言葉で修飾されるでしょうけれど、あらゆる全ての人にかみ砕いて理解してもらおうとなると短い言葉では言い表すことはできません。
本当の努力の意味とは?
本当の努力の意味とは何なのか?予め申し上げておきますが意味は人それぞれで異なります。
その上で個人的見解という前提で言いますと、まず1+1=2。
この1+1=2に辿り着くまでに1+1=4だったり1+1=3だったりと間違いを繰り返しながら、何とか1+1=2と必死の努力でこれを理解できたとしましょう。
1+1=? この正しい答えを導き出すという目標を設定した方は夢が実現したわけです。そして努力は叶うんだという思い込みがなされるわけです。
ではこの1+1=2に辿り着くまでの1+1=3や1+1=4という誤った回答の段階で努力をやめてしまったら、人によっては努力は報われないと結論をづけてしまいます。
何が言いたいかと言うと、例えば先ほど申し上げましたが、何かを願っても叶うとは限りません。
ただ努力することで、当初抱いた目標は達成されなかったけれども、継続的に努力をすることで確実に願望実現能力、問題解決能力は成長しているように思います。
iPhoneを作ったスティーブジョブズの名言、彼はこう言っています。
点と点がどこかで必ず一つに繋がっていく、そう信じること
何かと何かがつながっていくことで願望実現能力って向上すると私は思っています。例えば自分と人とつながることで自分が知らない情報を得ることができたり、誰かに何かを紹介してもらったり、社会に出て仕事をする上で1+1=2など足し算や掛け算を用いる機会は多いですが、算数と仕事、算数と家計という風に知識と知識が組み合わさったりつながることで力が身についていくんだと思うのです。
だから何らかの特定のものを願っても叶うとは限りません。しかし努力という姿勢を失わず、様々な事に取り組むことは、当初抱いていた目標は叶わなかったけれども決して無駄ではなく、願望実現能力、問題処理能力は格段にアップしていっているので異なる願望や目標が出てきた時には、今まで頑張ってきたものは大いに役立つだろうし、それが叶う確率は何もしてこなかった人に比べて確実に高確率と言い切れると思います。
どんなものにはやり方がある
どんなものにも「やり方」は存在します。例えば美味しいカレーを作るという最終目標を設定したとしましょう。
その美味しいカレーを作れる人になる為に、どんなペースでどんなやり方で身につけようとするかはそれぞれで違うんです。正確に言うと自分に合ったやり方でやらないと絶望感に打ちひしがれてカレーを作りたくなくなってしまいますよということです。
例えば美味しいカレーを作る為に、毎日毎日朝から晩までカレー作りをする没頭型、1週間に1日だけカレー作りの日にする方という頻度であったり、料理本やレシピサイトは一切見ないで、いきなりお肉や人参を切ったりしてぶっつけ本番で作る方、実際に工程に入る前に入念に料理本を何冊も読み漁ったり、レシピサイトで様々な方の作り方を研究する方、どれも間違いではありませんし、大事なポイントは自分に合った頻度ややり方でやらないといけないということなんです。
誰も言わない努力の危険性
努力という情報を検索すると努力って大事、努力って必要という言葉が目に飛び込んでくるわけですが、私は物事には常に両面があると考えを持っています。つまり努力は大事なものでもあると同時に危険なものでもあるということです。努力は危険だというのは努力はしないでいいですよと努力否定論を展開したいわけではありません。
正しいやり方でやらないと大きな挫折、大きな絶望感、大きな虚無感、挫折感から来る攻撃性などを生みかねないということです。
(人は)その(努力の)先に見返りを求めているんですね。見返りを求めて苦しい努力を重ねているとその努力の結果、何も得られなかった時にすごく人を恨むんですね。そういうのやめましょう。滅私奉公のような努力をして何かを達成するんではなくて、その努力は楽しいことなんだと。その道を歩いていること自体が楽しいですよねっという風に思って欲しいですよね。 ~中野信子~
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中野信子の名言集 完成すると言われていますが、トレーニングしないと育ちません。若いうちに自分を客観視することで鍛えないと、中高年になってからではなかなか鍛えられないんです。でも、いったんできてしまえば、将来、多くの人に羨ましがられる才能になると思います…
皆様は「ハンガーノック」という言葉をご存知でしょうか?ハンガーは空腹という意味でノックはノックダウンのノック、つまり空腹で身体が動けなくなってしまうことを言います。
空腹で身体が動けなくなると言っても「あぁ、お腹空いたぁと自分が動こうとしない状態」ではなく、動こうとしても動けない状態で、どういう時に起こるかと言うと激しい長時間の運動をして極度の低血糖状態になった時にこのハンガーノック状態になり、酷い場合は意識を失うくらい極めて身体が危険な状態に陥るのです。
これを努力に置き換えてみると、自分を限界まで追い込むって、それが実現しなかった時、それが落胆に変わった時には、その落差が大きく、燃え尽きてしまい次に努力をしようという気力が湧いてこない場合があるのです。単に残念だったと気楽に考えて切り替えればいいのですが、人によっては自分を全否定したり、人生を全否定したりと努力をして自分を限界に追い込むという”自分を異常な状態にする”というのは危険性を孕んでいるということなのです。
どんなものにはやり方がある
では努力は危険だからやらない方がいいかと言えば、もちろん違うのは前述した通り、何かに対して興味関心を持って取り組むことは短期的には分からなくても、長期的には必ず力は身についているのです。人は年齢を重ねれば重ねるほど人と人との差は生まれるようになっています。
1歳の時には個々の差はあまりなくても、20年、30年、40年と年数が経過すれば、身につけてきたもの経験したものに差が生まれるわけですから、当然人生の差も生まれます。だから短期的視点ではなく長期的視点を持っておかなければならないんのであり、長期的視点に立った時に自分に合ったペースや自分に合ったやり方で行わなければならないのです。
ただ努力を自分のペースでと言っても受験など期限が設定されているものもあり、ゆったりしたペースでできない場合もあるでしょうけれど、そういう時は努力量を減らすというではなく、上手に息詰まってくるメンタルの部分を上手にガス抜きすることを一つや二つ持っておきましょう。
音楽を聴いたり散歩をしたり、あるいは何かを食べたり、映画を見たり、自分の楽しみを見つけておけば、少しはガス抜きができます。
そして大事なのは努力が結実しなかった時、叶わなかった時の対処です。必死に志望校を突破する為に、第一志望の企業への就活の為に必死になって頑張ってきたからこその大きなショックを受けてしまいます。本当はそんな時に支えてくれるご家族や励ましてくれる友人などがいれば良いのですが、もしそういう方がいないなら、一人旅に行くのも良いですし、ゆっくり寝ていてもいいと思います。
ただ一つやってはいけないことは努力自体の全否定、自分は何をやってもダメだとかダメ人間だとかの自己否定、社会が悪いと社会全体を否定したりと自暴自棄も多少は良いでしょうけれど、通常に戻ってこられないまでに乱れてしまわないように注意する必要があります。
努力を完全否定してしまう心理
すごく落ち込んだり閉鎖的な方向に自分を進めてしまいやすい方の特徴として、起こった現実に対して飛躍解釈をしてしまう傾向があります。
違うコラムでも書きましたが失恋した時に、私は恋愛に向いてないんだとか一生孤独だとか、あの人以上の人は現れる事なんてないわ。
こういう風に事実を膨らませて絶望感で自分を包み込んでしまって悲劇のヒロイン、悲劇の中心に自分はいるんだと思ってしまうんです。
これは努力も同じで必死にエネルギーを費やしたにも関わらず結実しなかったので努力なんてやるだけ無駄とか意味はないとか、努力自体を否定する。事実から努力そのものに飛躍解釈して、自分はいい人生を送れるわけがないとまで思ってしまうんです。
もちろん置かれている状況や年齢、どんな事にどれだけの時間や労力、お金を費やしたか?目的の為にどんなに色々な事を我慢して耐えたのか?
それぞれの状況があるので絶望感に打ちひしがれるのも当然という状況もあります。
だから何を言いたいかと言うと「努力は報われない」という方に対して「努力が足りない」と安易に言うのは違うだろうと思いますし、人それぞれ家庭環境や先天的なものも違う中で、努力は報われないという結論になってしまった方は、懸命に何らかの努力をして来られた方だと思います。
誰だって好き好んで何かを否定したいわけではありませんから。
ただどうしてそういう必死の思いで頑張ってこられた方を更に追い込んでしまうかと言うと、自分の方がステータスがあって優位性が確保されているから、自己顕示欲を満たしたい為に見下したり、自分はもっと努力をしてきたんだから、努力が足りないと言ってしまったり。
少し話が逸れますが、言葉にはそれぞれに意味があります。
しかしその言葉の解釈、正確に言えばどう咀嚼するかは受け取った側が決めることができます。意味と解釈は違います。
先ほど努力は報われない方への言葉について触れましたが、努力が足りないという言葉自体に善も悪もありません。
その言葉は本当に応援の意味を込めて述べられた言葉か、単に見下す言葉なのか?
それは発言者に聞かなければなりませんし、それを決めるのは発言者です。そしてその言葉を受け取った方が、それは応援してもらっていると受け取るのか、バカにされていると捉えるのか?更に言えばその言葉によって余計に傷つき、暗くなるのか?それともプラスのエネルギーに変えて奮起するのか?
結局、受け取った側に決定権があるわけです。
話を戻しますが、必死に努力をしても報われなかった方に向けて、傷口に塩を塗るような言葉を更に浴びせる悪質な方もいますが、本当に頑張ってほしいという愛情の思いから発せられる言葉もあります。だから大切なのはどの言葉ではなく、それはどんな心から発せられたものかが大事なのです。
ですから傷ついている時に、更に落ち込ませるような環境には近づかないのが一番であり、更に言うと普段から人を攻撃するような方とは接しないのが一番なんですよね。それはネット上であっても同じです。
また努力は報われないとの発言も発言をする場所など、意図によって意味は変わってきます。誰しも強い弱いはあっても共感して欲しいという部分を持っているので、同じように共感してくれる場所やタイミングで努力は報われないと発する場合もあるでしょう。
そして努力は報われないと発することは自分自身を守る為に使われる場合もあります。つまり何か必死で努力をしたんだけれども叶わなかった。そこであまり自分に矢印を向けすぎると、更に自己否定が強くなったり、自信を喪失してしまう、あるいは自己崩壊が行ってしまうので自分ではなく努力というものに焦点を当てて努力を否定し、自分を守ろうとする場合もあります。
別に自分を直視しないで努力というところに矢印を向けて否定する。この行為自体決して悪いとは思いません。誰しも現実を受け入れられないとか、今の自分よりも大きな現実に直面してしまうと受け入れるのに時間がかかったりしますからね。
真面目過ぎる方は無理に受け入れようとするのですが、無理なものは無理なので、無理の状態で無理をするから、ますます無理な状態を引き寄せて、鬱などになるケースもあるので、少しの時間なら愚痴や鬱憤を発散したりするのは、全然問題ないと思います。
ただ人は時間経過で、その状態が形成され、形成強化が起こります。つまり習慣化してしまうわけですね。周りを敵対視し、色々な所に怒りのエネルギーをぶつけると、それが段々エスカレートしてきますし、それが本当の自分だと思ってしまいます。
年齢を重ねると完全に形成されてしまうので頑固な方は頑固だし、そこから変えようと思っても容易ではありませんのでご注意下さい。
重苦しい言葉
努力という言葉を聞いて拒否反応を示す方もいらっしゃることでしょう。先ほどカレーのお話しをさせていただきましたが、全ては己を知ることに尽きます。
自分を知るから正しいやり方が分かるんです。そして正しいやり方が分かるから実現の可能性が高まるんです。
もう少し正確に言うと自分の動かし方ですね。ここでは決して対象物への仕方、やり方ではありません。対象物というのは先ほどのカレーでいえば、人参の切り方や煮込む時間のことを言っているのではなく、美味しいカレーを作るという目的完遂の為に数日に一回チャレンジするのが良いのかなど途中で投げ出したり諦めたり、更に努力なんて二度とするもんか!とならないようにする為の自分のペース配分や動かし方のことです。
毎日カレーを作るメンタルを持ち合わせていない人に無理矢理カレーを毎日作りなさいといっても途中で挫折してしまうでしょう。人は得られるリターンとの割合で行動を決めることもあるので、無理矢理毎日カレーを作ることによって得られるリターンが耐える苦痛よりも上回っていれば耐えるでしょうけど、やはり自分に合わない努力は苦痛であり、継続した苦痛は心に傷を作ります。
もちろん全てから避けていては耐性が全く強化されずに、弱まるばかりなので強くすることと弱まることとの境界線というのはハッキリとここで明言はできませんが、自分の性格、自分に合った生き方、取り組み方は必ずあります。
大事なのでもう一度言いますが、「正しい自分の動かし方は自分が存在している以上、必ず存在します。」
Aさんは気難しくて批判的な人、Bさんは温厚だけれども内向的、Cさんは暴力的…。どんな人も生きてるわけですので正しい動かし方は存在します。そして正しい動かし方はすぐに分かる場合もあれば、なかなか分からない場合もありますし、年齢や経験を重ねれば正しい動かし方も変わります。
端的に言えば20歳の時の自分と80歳とでは身体能力も違えば、知識や成熟度も違うわけですから。
最後に、人生は何らかの状態になったからといって、それがゴールインという状態はないのではないかなと思います。志望校に入社しようが、第一希望の企業に就職しようが、それはあくまで一つの区切りであって、それで人生が決まるのではなく、決まると思い込んでいる事が問題なのです。
つまり融通が利かない思い込みに支配されているわけです。
人生は疑問を解決する旅です。日常生活の中でこれはどうするんだろう?そう思ったらネットで調べたりして解決する。お仕事や学業でもそうですよね。分からない問題が出てきたら、それを解決する。この疑問と解決のサイクルはいつまでも続くわけで、そういう意味では常に微調整や修正をしていくということです。
どんなものも最後に決めるのはあなた。努力は報われるか報われないか?誰にも分かりません。その上でどうしますか?
名言
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