島津斉彬の名言集・格言集

shimazu

島津斉彬(しまづ なりあきら)
生誕:1809年4月28日
江戸時代後期から幕末の大名
薩摩藩11代藩主。島津氏28代当主
死去:1858年8月24日
西郷隆盛を見出し、西郷の人生に最も影響を与えた人物
島津斉彬は明治維新の道筋を作り上げたられたといわれている

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島津斉彬

人材は必ず一癖ある者の中に選ぶべし

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『マルチョン名言集・格言集』

島津斉彬

西洋の兵法や砲術は、ここ数百年の実戦を通じて、長足の進歩を遂げている。

日本の砲術は戦国時代のレベルのままで停滞しているのだから優劣は問うまでもないのである

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島津斉彬

人身の和は政治の要諦である

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島津斉彬

勇断なき人は、事を為すこと能はず

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島津斉彬

西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり。屈することなく研究に励むべし

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島津斉彬

国中の者が豊かに暮らすことができれば、人は自然とまとまる。人の和はどんな城郭よりも勝る

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島津斉彬

天下の政治を一変しなければ外国との交渉もできない

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島津斉彬

十人が十人とも好む人材は非常事態に対応できないので登用しない

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島津斉彬

君主は愛憎で人を判断してはならない

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島津斉彬

鹿児島にはヒルという野菜があるそうだ、それを食したい

※ヒルとはニンニクの事

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島津斉彬

相続はしたが、予は薩摩藩を自分の所有物とは思っておらぬ。これは辱くも天子さまからお預かりしたものである

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島津斉彬

非常の果断を以て、内外の処分を変ぜざれば、日本を保つこと難しかるべし

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島津斉彬

善行とても前後をよく考えなければ難を呼ぶ。時が熟するのを待たねばならない。今、第一に求められているのは堪忍の二字である

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島津斉彬

決心した。内政は横暴に流れながら、諸外国に対しては卑屈極まれる。志のあるものが奮って尽力せねばならぬ時は迫れり

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島津斉彬

西郷一人は、薩国貴重の大宝なり。しかしながら彼は独立の気性あるが故に、彼を使う者は私以外にあるまじく、その外に使う者はあるまじ

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島津斉彬

【島津斉彬の訓言】
一、人心の一致一和は、政治の要目なり
一、民富めば国富むの言は、国主たる人の、一日も忘るべからざる格言なり
一、人君たる人は、愛憎なきを要す
一、およそ人は、一能一芸なきものなし、その長所を採択するは、人君の任なり
一、既往の事を鑑みて、前途の事を計画せよ。
一、勇断なき人は、事を為すこと能わず
一、国政の成就は、衣食に窮する人なきにあり

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