桂文枝の名言集・格言集
桂文枝 (6代目)
芸の体力というのは引き出しの多さであり、人生経験という貯金
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
人を傷つけるようなことはできるだけ言わない、あんまりエッチなことは言わない、悪い言葉は使わないようにすると、心に決めた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
私が出逢った人たちの思い出、その人たちから学んだことを次の世代に伝えていく。それが生きている者の使命
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
一流の人ほど、下の人間に優しい
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
僕らが教えられることは教えますが、それを自分のものにして、それ以上のものを作り出せるかどうかは本人次第
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
人と同じことをやっていたのではダメですから、人と違うことを考えて、人の100倍くらい努力しないと
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
タレントとしてのテレビの仕事は「寄せる波があれば、必ず返す波がある」
いつまでも好調を保てるのか不確実なところがある
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
笑いにも品格が必要
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
よく落語は年齢がいくほど芸が枯れて、いい味が出るなんてことを言いますが、枯れた芸は枯れた芸
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
前向きでないと色気がなくなってしまう
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
芸人は明るく楽しくが大事
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
笑いは常に時代に寄り添っていなければ生まれません
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
反省しても後悔しない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
学ぶと遊ぶを同時に一生懸命やって、それを仕事に取り込んでいかないと、芸人は長続きしない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
生きていくということは、たくさんの死とも向き合うこと
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
自律神経失調症で苦しんだ十年間も私にとっては、貴重な体験、充電期間だった
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
いい時は驕らず、悪い時は腐らず
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
自分がイメージする「自分」と身体の実年齢に乖離が生じてきた(49歳時)
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
ダウンタウンは何かとんでもない発想をするんです。
我々なら、まず事実を積み重ねていって「分かる分かる」と共感を覚えてもらって、「誇張」へポーンと飛ぶんですけど、彼らはいきなりポーンと飛躍しよるわけです。
だからシュールなんです。
でもこういう笑いは長続きせえへんやろと思ってたら、シュールが日常化してくる時代になって、すごいなぁと思いました
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
落語というのは、やはり演者の人生が見えないと平板になってしまって、噺に奥行きが出ない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
人気は「人」の「気」持ちです
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
運命には逆らえない。努力することで多少、運命を変えることができるかもしれないが、あとは吹く風任せである
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
これから僕がやることは一つ。次の若い人を育てるというのが僕の残された仕事(78歳時)
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
60歳になってようやく、自分に自信を持てるようになった
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
頭が柔軟な若いうちにどんどんネタを覚えて、自分で新しい笑いを作る。やればやるほど新しい笑いは発見できます
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
私が初めて談志師匠の存在を知ったのは大学生の頃。その時のネタは「野ざらし」。落語がカッコいい!衝撃的でした
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
これまでの芸人のイメージに当てはまらない芸人でもスターになれる
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
笑いのセンスというのは、小さい時からの色んな体験の中から出来上がっていくもので教えられるものじゃない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
スター不足がまさに今の落語界の課題
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
舞台に出たら、とにかく早く客の心を掴みたい
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
全ての人に感謝
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
創作落語のいい所は、マクラと噺のギャップのないところ。口調も変える必要がない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
五十にして初めて器用にやらずに努力するということを覚えた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
笑いというのは、まず事実があって誇張があって、また事実に戻ってというサンドイッチ構造になっているんやなってなことを子ども心に考えた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
持って生まれた素質を(幼少の頃の)環境が伸ばしてくれた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
僕が人を飽きさせないように何やかんややるようになったのは、育った環境が大きかった
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
さんまさんの努力と自己プロデュース力はなかなか真似できない
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
家族の縁が薄いまま育った
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
高校時代が僕の一つのターニングポイント。芸能界に入りたいという思いが、漠然と芽生えたのも演劇部に入ってから
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
落語界は低迷気味ですので、さんまさんがきっと戻ってくると僕は信じています
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
型にはまってしまわずに、どんなことでも落語になるということを若い人たちには分かってもらいたい
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
芸人一人の力で芸界を変えるのは不可能
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
芸人というのは売れるまでが非常に難しいのですが、売れてからの対処の仕方がもっと難しい
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
テレビに出るのが怖くなっていた(三枝の爆笑夫婦出演時)
※三枝の爆笑夫婦… 1980年~1985年に放送されていたトーク&クイズ番組
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
談志師匠に背いたことを、そして六代目、桂文枝を襲名したことを後悔しないよう頑張らないといけないと心に誓った
※立川談志師匠からは六代目を襲名することを反対されていた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
私には「細く長く」が合っている
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
私が目指していた笑いとは日常性と普遍性。つまり日々の生活で「ある、ある」と思わせる事柄や出来事から感じられるおかしさや明るさ、温かさだった
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
時代を越えて10年、20年、100年続く落語を作りたいと考えてきた
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
落語家として認められてくると、それまで増え続けていたテレビ番組の仕事はあまり来なくなった。
やはりテレビは軽さを必要とする世界なのだろう
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
(桂文枝 (5代目)からの教えの中で)一番印象に残っているのは、師匠のかばん持ちで歩いているとき大学の同級生に声をかけられ、しばらく立ち話をするということがあったんです。
その夜、師匠から「お前はもう芸人になったんや。
同級生であろうと誰であろうと、みんなお客さんや。
丁寧に接することができないと、落語家としての根性を持つことはできない」と教えられました。
それは私にとって一番大事な言葉になりました
『マルチョン名言集・格言集』
桂文枝 (6代目)
戦時中のことはまるで覚えていません。終戦を迎えたときはまだ2歳
『マルチョン名言集・格言集』
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