坂東玉三郎に関する名言集・格言集
坂東玉三郎
遠くを見ない。明日だけを見る
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
桜姫って、ただのお姫さまとは全然違いますから。いろんな女の人の性格や運命を一人の女にこめたようなところがあります
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
きれいに立ち直るというのはすごく力がいる。醜く落ちていったものを次の幕でもう一度きれいに再生するのは、すごくたいへんです、精神的にも、肉体的にも
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
最初、役慣れしない頃は低い声、いわゆる男らしい声を出さねばという意識がありましたが、慣れると声の高い低いじゃなくて雰囲気なんだなとわかったので、後半ではお岩が低い調子、小平が高い調子。小平は女っぽくならない程度に張りました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
浪宅の中でも、だんだんと変わるわけで、薬を飲んで、宅悦に顔が変わったと言われてからまた変わる。宅悦の話を聞き、髪梳になるとまた違う。声は張っても癇に抜けないようにというんですね。それと、お岩様だけが持つ力というか、パワーがなければいけないけれども、元気になっちゃいけないでしょう。そのバランスがむずかしかったです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
むずかしかったのは凄みを出すというところです。「凄み」と「がんばる」というのは違う。「ふけてはいけない」というのと「軽くなる」のは違う。「病気のけだるさ」と「恨みの辛さ」も違う。結局、ぼくはまだ若いですから声を安易に使うと軽くなる。それがむずかしいのです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
お岩は父親の敵を打ってもらいたさに伊右衛門といるけれど、子供まで生んだのに針の筵の毎日でいる。父を殺した伊右衛門と知らずに暮らしていることが因果なんでしょうね。「浪宅」は本当によくできている場面ですね
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
お岩という人は、初めて舞台に出てきた時は若くて美しい女だけれど、すでに生活に むしばまれている。原作、初演の台本では夜鷹のなりで出るんですね。でも、なぜ夜鷹なのかと考えると頭がぐらつくんですね(笑)。ですから、ぼくは夜 鷹の糸立(粗末な筵のこと)を持たずに出ました。ひとことふたこと説明したところで お岩が夜鷹であったと、見ている方にはわからないでしょうから。もしそうするならば、それなりの台本を作らなければなりませんし
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
見る側のために伝承がある、けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思いました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
『四谷怪談』というのは本当によいお芝居で、5時間で演じ切れない部分のどこを割愛していけばいいか、というと、本当からいえば割愛していいところなんかないわけです。ですが、今回は言ってみれば、裏表、裏表ときれいな部分と醜さが反転してゆくという演出家の趣向なんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
型に関してものを言う場合は、自分が3回ぐらい再演して自分なりに消化したうえで、「この型というのはこれこれこうだから、全体のバランスを考えるとこうしないと展開しないんじゃないか」とか初めて言えるんですね。初役の場合は、役の大根の意味を掴むことです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
どういう型があり、先輩の役者の方々がどういう演技方法を残されたか、ということを考える。これはどの俳優さんでもなさっていると思います。そして、その読み方によって解釈が違い、選ぶ型が違ってくるんですね
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
どういう役柄にしたらいいかということも大切ですが、歌舞伎の場合はやっぱり伝承とか型も大事です。伝承や型を考えてみて、脚本を読んで全体の意味を知りその中で自分の役が何を表現したらよいのかを掴まなくてはならないんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ぼくね、子供のころ眠る前に(鼻を)3回引っぱれっていわれて(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
杉村先生ぐらいになっちゃうと、ある意味の女形と同じだと思うの。ただ、過去に生の女の人だったということ(笑)。ごめんなさい(笑)。先生みたいに、そういうのを一回越えちゃっているというのを(笑)舞台で観てすばらしいと思うんですよ
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ふだん何していますかと聞かれるでしょう。芝居を観たりします、というと、勉強家ですねといわれるけど、そうじゃないのね。楽しいの。観てるときって。やってるときよりいいときがあるし(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ぼくは今、自分が詩とか文学、あるいは絵や彫刻など、ある意味で自分だけの孤独な作業で自分を表現しているのならば信じられると思うんです。でも現実に、今皆さんの前で踊ったり、芝居をしたりしているなんて信じられない。実感がない。こんなことを言うと、信じてくれないかもしれないけれど、本当なんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
自分に協調性がないから、普通に暮らしていけるかどうかという意識があって、自分に劣等感があったわけでしょう。兄たちも、母に「こんなに甘やかして育てちゃったら、とんでもないよ」なんて言う。そういうのを聞いて育ったものだから、自分が絶対に駄目な人間だと思っていた。
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
公には言いませんけど、個人的に、友達とするんですね、「自慢させてね」と前置きして言って、合槌を打ってもらうんです。実際、自分で良いと錯覚するくらい、うまい合槌を打ってくれる人がいい(笑)。「ふんふん」じゃなくて、「ほんとにねえ」と言って欲しい(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
自分の作品とか批評、写真に対して割と客観的なんですね。だからすごくさめているんですけど、時には自慢ぐらいしなくては生きていかれない(笑)と、自分でほめたりしてるんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
やっていることが私なんです、とお答えするのが一番確実なのかもしれない。それで、そのときどき偶然に見えるものが事実だと思うんですね。だから、昨日言ったことが本当か、今日言ったことが本当か、じゃなくて、どちらも本当なんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
本当の核心は無意識の中にあるというか、言葉にするとゆがみが出ると思います。だから、ある意味では、話をするのがめんどうくさい、というところがあるようです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
皆さんがおっしゃるほど、自分の舞台上の姿が自覚の中にないんです。ですから、聞かれるたびに答えていても、それは意識的に作った答え、演じていく過程、役を教わった過程での方法論の言葉が自分の中にあって、その言葉で答えていくだけなんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
父の時代は、自分の父親に習える役でも他人に習いに行けと言われたらしいですね。うちの父も自分の父親から習ったものはほとんどないと言っていました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
テレビで商社マンの教育をマンツーマンでやるのを見たことがありますけど、ああいう感じです。もう今はやりたくない(笑)と思います。こう言われたらこう言う、ああならば、ああするとか、きっちり教えてくれるんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
三食小言付と言っていたんです(笑)。朝から晩までずっとです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
とにかく女形は立役に添わなくてはいけないと教わりました。たとえば、立役が小道具を落としてしまったら、次に使い易い所に芝居の中でちゃんと置き直すとか、立役に寄り添う時にはどうしたらいいかとか、そんなふうに演られると相手が困るとか
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
稽古だといって出かけては、内緒で映画や外国からきた公演とかを見に行ったりしてたんですね。それまで父が厳しくてぎゅうぎゅうやられてましたから(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
演りたいものが歌舞伎以外の世界にも広がっていって、いろいろなものをさせていただくようになったんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
教えてくださる時に、「私は女優としてこう演っているけれど、先輩の女形さんたちはこうとこうとこれがあるから好きなのを選んでどうともなさい」とおっしゃる。「喜多村先生はこうなさった、花柳先生はこうなさった」とおっしゃってね、「あなたのくふうでなさいよ」と言いながら教えるときはきちんと教えてくださいました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
初めは良重さんのお母さま。大先生でしたけれど、ぼくは共演するようになってからは他人というイメージがあまりなくて……。新派の女形の芸を女優の芸に翻訳なさった方で、素晴らしい方です
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
『熊谷陣屋』なんですけれど、相模の入りから通して演ったんです。あの暑い夏の京都で。それまであんまり忙しかったこともあって、ぼく、ノイローゼ気味になりました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
共演は初めてでしたけれど、その前にすでに『お染の七役』を教えていただきました。あの『お染の七役』は早変わりで七役を演じるもので、長いこと上演されなかったのですが、昭和の初めに国太郎さんが復活なさったのですって
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
芸の力でいいお三輪はこれからも出来るかもしれないけれど、その時のお三輪の花は今日一日で終わる、ということじゃないかと思っています。思いがけずほめていただいて励みになりました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
若草座というのは父が若い頃やっていた会で、それを復活したわけです。青年歌舞伎祭というものがありまして、△△会とか、会を作って参加する催しだった。若草座は2回もしていないんじゃないかな
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ぼくは日記を書くことができないんですけど、その代わりに14、5歳の頃から見た芝居や映画のプログラムがとってあって、それをみるとその芝居や映画を見た時に考えていたことを思い出すんです。プログラムを見ると、この頃は何を考えていたんだとわかる。だから、見た物と自分が舞台に立った時のことが思い出になっているんですね。そんなふうで、あまり記憶の整理ができないんです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
協調性ゼロといったほうがいいかもしれない。だから学校で困りました、協調性がないってことで(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
学校では体育はやらない、運動会には出ない、遠足は行かない、旅行は行かない、でしょう。ほとんど団体行動をしたことがないんです。学校にも悪いことをしましたね。だから、他人と大勢で何かするというのが苦手ですね
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
この子は無事に暮らしていけばいい、という気持ちで育てていたので、何か欲しいと言えば買ってくる、あそこへ行きたいと言えば連れて行く
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
大塚って昔の下町の面影があっていいでしょう。よく六義園なんかも歩いて遊びに行きました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
両親が芸事を好きだった。映画へもよく連れて行ってくれました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
14歳で父(故守田勘弥)の芸養子になってこの家に入るまでは通っていました
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
6歳の時に踊りを始めて、弟子入りして、7歳になって本舞台がありました。子供だからなすがまま、というか、おだてられるがまま(笑)。「よく踊れた」とかほめられると、子供だからつい踊っちゃう(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
両親は、とにかくぼくが無事に暮らしていけばそれだけでいいと思っていたし、ぼくも無事にしていればいいんだなと考えていたので、何かひとつの仕事をしよう、ということは本当に考えなかったです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
雷も恐くて、雷が鳴ると家の中は恐いから外へ出たいという。外に出ると鳴っているので家へ入るという。雷の鳴っている間中、それをやっていたらしいです(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ぼくは小さい頃、夜泣きソバ屋さんのチャルメラが恐かったんです(笑)。それで、チャルメラが聞こえると泣くわけです。寝つきの悪い子だったらしいんですよ。それが寝ついた時にくると、起きて泣くので、もう、親がチップをあげて、「この辺にくるな」って頼んだそうです(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
脚が疲れて、それが上にのぼってきて、肩が凝ったり頭痛がしたりするんですね。弱いほうの脚というより、それをかばうほうの脚が疲れますね。でも、本当になんという職業を選んじゃったんだろうと思う時がありますよ
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
克服するというより、なんで不自由のある人間が舞台に立つようなところへいっちゃったのか、と思ったくらい(笑)
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
父親がネコっかわいがりにして、どうしても病院に入っていなければならない病気の感染期間が過ぎると、うちで治療するからといって、治療器具を買って、病院から出しちゃったんです。とにかくそんなふうで……
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
5人兄弟の一番下で全部生きていれば7人兄弟ですけど、ぼくのすぐ上の兄と、もう一人の兄が死んでいるんです。それで、兄たちとだいぶ年が離れていて、両親が40をすぎてからの子供だから、本当にネコっかわいがりだった
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
わがままだし、さびしがりやだし、気はきついし(笑)、大人みたいなことを言うし……、何でも思うとおりにやる、そんな子でした
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
台詞がとんだり、いわゆる「ろれる」というか
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
すごくあがりますよ。震えがきちゃう、もう。『メディア』の初日の時なんか、前で見てらして、あがってると思いませんでしたか。舞台稽古の時はそれほどでもないんですけれど、お客さんが入ると、もう……
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
翻訳劇の時なんか、スカーフしたりスカートはいたりして、なるべく照れないように苦心してます
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
ちっともうまくないから、人前ではあまり……。それに、すごく照れ屋なんです。ただ、一回照れずに人前で何かできると思ったら何時間でもやってる。芝居でも、幕が開くまでは照れている。幕が開いてしまって、演劇としてやっていいというエクスキューズから演れるんですね
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
家の人には聴かせますけど。子供の頃からそうなんですね、身内には「もういい」っていうまで、やってみせるんです(笑)。『悲愴』の第二楽章もやさしいから、よく弾きます。歌うのも大好きです
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
バイエルを終わってすぐに、『月光』をやったんです、ベートーヴェンの『月光』。めちゃくちゃというか、冒涜というか(笑)、楽しみでやってますから、そこらへんの腕で止まっているんですけど
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
10歳ぐらいの時からピアノはひとりで弾いていましたけど、教則本は全然やらなかったんですね。それで14歳で玉三郎を襲名して、お稽古事が始まって、そのひとつの課目にピアノが入っていたんです。けれど、その時もバイエルも終わらないうちに忙しくなってしまって、きちんとはできなかった
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
世の中の大勢と脚並みを揃えられない場合には、世の中じゃないものになるしかないじゃないですか。自分が違うものになって自由なところに脚をおろす
『マルチョン名言集・格言集』
坂東玉三郎
美の基本はやはり丁寧でなければなりません。私は、力技で他人と対さないということが、日本人ならではのやわらかさだと思います。他人への気遣いであり、優しさであり、また所作が丁寧であることもやわらかさに繋がるのだと思います
『マルチョン名言集・格言集』
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