徳富蘇峰の名言集・格言集

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徳富蘇峰(とくとみ そほう)
生誕:1863年3月14日(文久3年1月25日)
出身:熊本県
死去:1957年(昭和32年)11月2日)
明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト
思想家、歴史家、評論家
『國民新聞』を主宰し
大著『近世日本国民史』を著したことで知られる
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徳富蘇峰

大局さえ見失わなければ大いに妥協して良い

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

得意の絶頂は油断の崖端であった

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

乃木大将の下半世はほとんど吉田松蔭の士規七則の標本たりき。

その武士道の第一義たる恥を知るの一点においては、その良心の鋭敏なる、一生を通じてあえてかわる所あらざりしなり。

三十七八年戦役以後の乃木将軍はほとんど軍服を纏うたる聖憎たりき

※乃木大将…乃木希典

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

人生の要は七分の常識に三分の冒険心を調合するを以て、適当なりとなすべし

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰│心に残る『まるちょん名言集』


徳富蘇峰

人生は一種の苦役なり。ただ不愉快に服役すると欣然(きんぜん)として服役するとの相違あるのみ

※欣然の意味…喜んで物事をするさま

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

眠るは起きんがためなり、休息するは労作せんがためなり

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

多忙とは怠惰者の遁辞(とんじ)である。今日すべきことを今日しなかったら明日は必ず多忙である

※遁辞の意味…責任逃れの為の言葉

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『マルチョン名言集・格言集』

徳富蘇峰

人の一生に、最も大切なるは、安心也(なり)。百歳の寿命も、一日の安心には、代え難し。安心なければ、生活の甲斐なき也。

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『マルチョン名言集・格言集』

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