菜根譚に関する名言集・格言集

saikontan
菜根譚(さいこんたん)
洪応明(こう おうめい、洪自誠)が明の時代に書いた随筆集(思想書、処世哲学書、雑学書)

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※個人名での名言は発言者を変更させていただいております。

菜根譚

肝臓が病むと目が見えなくなり、腎臓が病むと耳が聞こえなくなる。このように、病は他人からは見えないところで始まり、やがては誰でもが見えるところに現れる。だから、人の上に立つ者は、人前で罪を受けたくないなら、先ずは人から見えないところでも罪を犯さないようにすべきである

+167
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

恩寵を受けている時にとかく害を生ずるものだ。だから、得意快心の時には、すみやかに周囲に目配りしなければならない。失敗した後にかえって成功を収めることがある。だから、思うようにならぬことがあっても、決して手を離してはならないのである

+86
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

暴風雨の日には、鳥や獣でさえも悲しそうである。ところが天気晴朗の日には、草木でさえもうれしそうである。これにより、天地に一日も和気がなくてはならず、人の心に一日も喜びの精神がなくてはならないことがわかるのである

+54
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

耳にはいつも聞きづらい忠言や諌言を聞き、心にはいつも受け入れがたいことがあって、それではじめて、道徳に進み、行動を正しくするための砥石となるのである。

もし、言葉がすべて耳に心地よく、ことがらがすべて心に快適であれば、それは、この人生を自ら猛毒の中に埋没させてしまうようなものである

+121
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

ひっそりと静まり返った深夜に、独り座って自分を観照すれば、もろもろの煩悩が消え去って清浄な心が現れてくる。そこから、必ずや大いなる悟りを開くことができよう

+59
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

せっかちで心が粗雑だと、一つの事さえ成し遂げられない。なごやかで平静だと、多くの幸いが自然に集まる

+155
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

完全な名誉、立派な節操(せっそう)という評判は、独り占めしてはならない。そのいくらかを他人に譲り与えれば、危害を遠ざけ、身をまっとうすることができる。不名誉な行為や評価は、それをすべて他人に押しつけてはならない。そのわずかでも自分が引き受ければ、自分の才能をひけらかすことなく人徳を養うことになる

+73
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

逆境にあるときは、身の回りのものすべてが良薬となり、節操も行動も、知らぬまに磨かれていく

+115
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

小人からは、むしろ憎まれたほうがよい

+159
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ

+82
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

常に喜びの気持をもって暮らすことが、幸福を呼びこむ道である

+133
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

下り坂に向かう兆しは最盛期に現れ、新しいものの胎動は衰退の極に生じる

+88
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

分に過ぎた幸運は、人生の落とし穴だ

+98
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他に先がけて開いた花は、散るのもまた早い

+72
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人格が主人で、才能は召使いにすぎない

+114
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

自分の心情の動きというものは、平穏な状態もあり、乱れる状態もある。であるから、どうして他人にだけいつも平穏な状態でいることを望めようか

+63
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

物に触れ 見たり聞いたりするものがすべて、そのまま真理にほかならないことを、心にしっかりわきまえておく必要がある

+35
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

最も高遠な真理というものは、最も平凡なものの中に宿っており、至難な事柄は最も平易なものの中から出てくる

+54
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

古人の書物を読んでいながら、聖賢の精神にふれなかったならば、それは単なる文字の奴隷であるにすぎない

+30
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

家庭にある時の戒めとして二語ある。それは『ただ思いやりが深くさえあれば、家族の心はおだやかであり、ただ倹約さえすれば費用は十分に足りる』という二語である

+73
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人が世の中を生きてゆく時には、自分から一歩を ゆずることがよりすぐれた道である。この一歩をゆずることが、それがそのまま一歩を進める根本となるのである

+107
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

太陽が沈んでしまっても、それでもなお夕映えは美しく輝いている。だから、人生の晩年に当たって、君子たるものは さらに精神を百倍にも奮い立たせてりっぱに生きるようにすべきである

+59
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

水のしたたりによって、石も穴をあけられる。このように道を学ぶ人は、その道を求め続けるようにしなければならない

+52
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

事業を興しても、自分の利益を追求するだけで、徳を世に布き行うことを考えなければ、眼の前に咲いているだけのはかない花にすぎない

+45
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

自分自身を錬磨するには、くり返しきたえる金属のようにすべきである。速成したのでは深い修養とはならない

+36
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他人を疑う人は、他人は必ずしもすべてに偽りがあるとは限らないが、少なくとも自分はまず欺いて(あざむいて)いることになる

+32
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他人を信用する人は、他人は必ずしもすべてに誠であるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠があることになる

+49
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人の過失をとがめる人は、心を動かすごとに、それがすべて自分を傷つける刃物となる

+90
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他人に恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいけない。他人に怨まれるようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である

+57
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

その人の人柄は、事業を興し発展させる基礎である

+31
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人目につく所で わざわいを受けないようにしたいと思ったら、まず人目につかない所で罪を犯さないように心がけるべきである

+51
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

彼が富の力でくるならば、私は仁の徳をもって対抗し、彼が名誉でくるなら、私は正しい道をもって対抗する

+44
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

世のため人のためになる道徳や事業を行う時には、人に率先して行い、人のあとからするようなことはしてはいけない

+41
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

物事が失敗した後には、逆に成功するものである。だから、自分の思い通りにならない時でも、やたらに手を放ち投げ出してはいけない

+68
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

幸運の女神は奉仕の心がある人にツキを授けてくれる

+47
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

後楽の精神を持とう

+19
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他人に施した恩は忘れてもいいが、人から施された恩は忘れてはならない

+115
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

狭い道では自分が一歩譲って人を先に行かせよう。美味しい食べ物は自分が取る分を減らして人におごろう

+55
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人としての道を守っていれば、不遇な状態に陥っても、それは一時的なことで終わる

+54
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

少しの慈悲心が、天と地の間にある人間の温和な気風を醸し出し、少しの潔白心(清心)が、百代先(永遠)まで、匂わんばかりに清々しく心を伝える。つまり、誰某(だれそれ)、彼是(あれこれ)といった偏りの無い菩薩のような本当の慈しみや思いやり、そして清廉潔白な心は、どんな人間にも人間本来の温和か心を思い出させ、その清々しい心は永遠に伝えられるということ。言い換えれば、活人は、「菩薩」のような人を目指しなさいということ

+25
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

嘘つきの人間に会ったら、真心を尽くして揺り動かし(感動)、乱暴で道を外した人にあったら、温和な心で薫蒸(善に感化)し、邪悪な捻くれ者に会ったら、大義名分と意欲で励まし。そうすれば、世の中に自分の指導力が通用しない人間はいない。つまり、どんな人間でも適切な対応をすれば、改心させることが出来るということ。言い換えれば、活人は、人を観て法を説き、相手の個性上の癖に応じた固有に説得法を身に付けなさいということで、それが出来ないようでは指導力があるとはとても言えませんということを覚えておこう

+44
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

節義あることを自慢する者は、必ず、その節義を理由に非難され、道学に関する教養を振り回す者は、常に、その道学を理由に警告される。故に、上に立つ者は、悪事に近づかず、良い評判も立たないようにし、只、温和で円満な気持ちを持つべきである。それだけが、身の処し方の最上の道だろう。つまり、上辺の礼儀作法や知的教養を売り物にする者は、同じジャンルが弱点となり突き込まれるので、上に立つ者は、能ある鷹は爪を隠し、秘すれば華、秘さざれば華ならずを戒めに、只管、柔和温和な心でいるのがベストな方法なのだということ覚えておけ。言い換えれば、活人は、出る釘を打たれ、出ない釘は抜かれるので、中庸こそが最良の処世術だということを忘れるなということ

+32
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

上に立つ者は、権力を行使する重要な地位にあるときは、言行は公明正大で、心は穏やかでなければならない。そして、フラフラと腹黒い下衆な人間に近づいてはならないし、蜂やサソリのような毒をもつ過激な輩に突き込まれてはならない。つまり、上に立つ者は、正々堂々と立ち、軽薄な行動や、無防備な状態をつくってはならないということ。言い換えれば、活人は、軽薄で無防備になるな、さすれば組織はアッという間に壊れて下々の者は路頭に迷うということを戒めにしろということ

+16
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

物事を考える時は、我が身を客観的な立場において利害に対する判断を十分に考慮しなさい。しかしそれを実行する時は当事者となって利害に対する打算を忘れなさい。つまり、物事は始まるまでは多面的に考え付くし、いざ実行する段になれば、あれこれ考えずに只管行動しなさいということ。言い換えれば、活人は、始まるまでは頭で考え尽くし、始まれば心で行動し尽くせということ

+22
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

何の事件も起こらない時は、心がボンヤリし易い。だから、静かで澄み切った心で見なさい。これに反して事件が有る時は、心が常軌を逸し易い。だから、澄み切った静かな心で見なさい、 つまり、どんな時でも、心静かに、澄み切った気持ちで居なさいということ。言い換えれば、活人には、「平常心是道」を座右の銘にしておくことを奨める

+28
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

人間の心は、そのまま宇宙と相似である。喜びの心は、めでたい星やめでたい雲である。怒りの心は、轟く雷や激しい雨である。慈しみの心は、のどかな風や恵みの雨である。厳しい心は、照りつける太陽や秋の霜である。どれも欠くことが出来ない。ただ、現象すれば直ぐに消え、その後はカラリとして後を引かないので、宇宙と心は相似形といえるのである。つまり、宇宙をマクロコスモス、心をミクロコスモスと言い、ありとあらゆる現象が相似形なので、心は大宇宙に学べるということ。言い換えれば、活人は、脳こそ正に宇宙の一部であり、宇宙こそ脳であると考えるのが合理的であることを覚えておきなさい

+17
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

「ネズミの為にいつも飯を残しておき、蛾を可愛そうに思いランプをつけない」(蘇東坡「蘇軾詩集39巻」の詩) 昔の人のこのような心使いが、我々が生きてゆく上での重要な心がけである。

このような心がけが無ければ、我々は土や木で出来た人形と同じような心の無い存在なのだ。

つまり、人間として生きて行く、ということは全ての生命に畏敬の念を持つことなのだ。

言い換えれば、活人は、生命を軽視する人間は、単なる人間の皮を被った抜け殻にようなものだとして排除しておくことだ

+19
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

私は高い地位にあって人が尊敬するのは、外見の立派さからだ。私が低い地位であって人が軽蔑するのは、外見の貧相からだ。そうとすれば、人は見かけを尊敬しているだけなので、どうして喜べるだろう。また、人は見かけで軽蔑しているだけなので、どうして怒れるだろうか。つまり、自分が他人から思われている感情は、所詮は外見や立場が与える幻想で、自分の本性に対してではないので、喜んだり悲しんだり、誇ったり蔑んだりするのはナンセンスということ。言い換えれば、活人は、立派な服装で高給な車に乗るのではなく、立派な服装で高級な車に乗っている人が偉いと下衆な人間には見えるだけだということを知っておけということ

+22
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

心を沈静して空しくすれば、本性(ほんしょう)が現れる。心を動揺させたまま本性を見ようとするのは、波をかき分けて月を見ようとするのと同じである。表層の意識が清ければ、本性も清い。意識の整理をしないで本性を見ようとするのは、汚れる鏡で自分の姿を見ようとするのと同じである。つまり、本当の自分を知ろうとするなら、先ずは意識的に心を静めてからでないと、本性は見えないということである。言い換えれば、活人は、先ずは形式を重視して坐禅を組み、心を穏やかにして本性を見ろ、ということになる。翻って言えば、活人は、有為自然から無為自然。形式から本質。対症療法から根本療法へという転位転換を心がけなければならない

+9
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

恩恵とは最初は薄く、後を厚くすべきである。最初は厚く、後で薄くなると、人はその恩恵を忘れる。威厳とは最初は厳格に、後は寛大にすべきである。

最初に寛大で、後で厳格になると、人はその残酷さを怨む。

つまり、人間は最初の印象が強いので、どんな場合でも、相手にとって損から始め、徐々に得に持っていかないと好意は逆効果になるということ。

言い換えれば、活人は心理学者であり、心理技術の実践者であることを要すのである

+25
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

俗人の世界を超越できることは非凡である。故意に奇をてらう者は、奇人ではなく変人である。汚れに染まらないことが高潔である。俗人の世界を超越して高潔を求める者は、高潔ではなく過激である。つまり、本質は身近にあり、それを知らない者は過剰反応するが、それは浅智慧で本物ではないということ。言い換えれば、活人が人間的に向上しようとする時は、形式ではなく、日常生活での実践こそ大事だということ

+7
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

気分次第で動く者は、始めれば直ぐに止めてしまう。そんなことでは逆回転しない車輪ではない。(不退転の人間ではない) 同じように、俗人の知性レベルで悟ったかに思っている者は、偽の悟りなので一進一退で、結局は人々の常夜灯にはならない。つまり、自分を高めようとする者は、普段から不退転を実践していないと、仮に大きな発見があり悟りに通じたとしても、それは風前の灯火でであり、ちょっと風が吹けば消えてしまう程度で、信用するに値しないということ覚えておけということ。言い換えれば、活人は、不退転の覚悟をもった人間ということだ

+8
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

勤勉ということは、道徳の実践に励むことである。

しかし、俗人は、勤勉の名を借りて、貧乏を脱出する事ばかりを考える。 倹約ということは、財産に淡白であることを言う。

しかし、俗人は、倹約の名を借りて、自分のケチを正当化する口実にしている。

人の上に立つ者にが自分を守る、この勤勉と倹約は、今や俗人の私利私欲を量(はか)る道具になってしまっている。

何とも残念なことだ。 つまり、勤勉と倹約という言葉を勝手に解釈している俗人は、自分の心の在り様を誤解し、都合の良いように言葉を使う。

言い換えれば、活人は、言葉の意味を正確に知り、自分勝手に解釈しないことだ

+9
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

昔馴染みとの関係は、互いに意気揚々となることが大事。隠れて何かをする時は、公明正大な心で事に当たらることが大事。老人を持て成すには、敬意と礼儀を最大化することが大事。つまり、他人との交際は、その話しが善きにつけ、悪しきにつけ、誇張されて伝わるので、大げさにな事を考えて対処しておけということ。言い換えれば、活人には必ず尾鰭が付いてまわることを覚悟しておけということだ

+8
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

良いことをしても、その結果が見えないのは、草むらに自生するウリのようなもので、見えずとも自然に大きくなっているのだ。これに対し、悪事を働いても、その報いが現れないのは庭先に積もった春の雪のようなもので、気が付かないうちに身を滅ぼしてゆくものだ。つまり、良いことでも、悪いことでも、直ぐには結果が見えないことがあるが、良いことは良いことなり、悪いことは悪いことなりの結果が自然に出ますよ、ということ。言い換えれば、活人は、因果応報という法則を心に焼き付けておけということ

+22
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

気持ちがゆったりとして豊かな人は、春の風が万物に息吹を吹き込み育てるように、恩恵を受けると成長する。一方、残忍で冷酷な心の人は、北国の雪が万物を凍りつかせてしまうように、 災いに遭遇すればみな枯れて死んでしまう。つまり、人間の価値は心の広さ温かさであり、それのみが全てを発展させる極意だということ。言い換えれば、活人の真価は心の質量で計られるということ

+14
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

他人を信じる者は、人間誰もが誠実であるとは限らないなかで、確実に誠実な人間である。他人を疑う者は、人間誰もが不誠実とは限らないが、確実に不誠実な人間である。つまり、他人は自分の鏡ですよ、ということ。言い換えれば、信じる人間は信じられ、疑う人間は疑われ、嘘をつく人間は嘘をつかれるのですよ、ということ

+22
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

道徳は万人に共通するものだが、人を見て導くべきである。学問は極めて平凡なものだが、現象を見て警告すべきである。つまり、心のレベルは人により大きく異なるので、人を観て法を説き、頭のレベルは誰しも大して違わないので、事あるごとにガンガン教え込むのが良いということ。言い換えれば、活人は、部下に対し、知識は日常的に叩き込み、精神は相手に応じて引き出してやれ、ということだ

+7
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

昔の人は、自分の家の膨大な財産を忘れ去り、門塀に並んで乞食の子供の真似をする、と言う。また、心の貧しい成金よ、ありもしない夢を語るのは止めよ、どこの家の台所からも食事の準備の煙が上がっている、と言う。前者は自分に本来備わっている広大無辺の本心に気が付かないことに対する戒めで、後者は幻でしか過ぎない現世の財産を誇ることを戒めたのだ。これらを、学問(多分に禅を指すだろう)の大切な戒めとしなさい。つまり、目に見える幻ではなく、目に見えない現実を知らないで、学問は出来ませんよ、ということ。言換えれば、活人は、ダイヤの原石を捨てて、金メッキの米粒を大事にするようなバカなことはするなよ、ということ

+3
『マルチョン名言集・格言集』

菜根譚

心は子孫の反映を左右する根本である。根本である根がしっかりと張っていないのに、幹や葉が立派に成長したことはない。つまり、何は無くても「基礎固め」ということ。言い換えれば、活人は、急いては事を仕損ずる、ということを戒めにしておきなさいということ。看脚下と同じように足元を見て心調えろということでもある

+9
『マルチョン名言集・格言集』

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