真田幸村の名言集・格言集
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真田幸村
いったん約束を結んだことの責任は重いと存じます。日本国中の半分を賜るとしても、気持ちを変えることはできません
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
秀頼さまから信頼をいただいているのはとてもうれしいのですが、色々と気遣いも多いものです
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
われら親子のことを案じていただきありがとうございます。我らは大坂城に籠城の上は必死に戦いますので、この世でお会いすることはもうないと思います。ただ、何事もスエのことだけは、いろいろご迷惑をかけますでしょうが、なにとぞお見捨てにならないようにお願いいたします
+41
『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
主君のために死ぬのは武士の習い。しかし大介はこれまで15年間浪人として過ごし、たいしていいこともありませんでした。それなのに戦場の露として消えるのはなんとも不憫です
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
必ず再び合戦になる。私たち親子は一両年中に討ち死にするでしょう
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
日本の半分をもらっても寝返るつもりはない
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され、武士としての面目を立てて頂いた身、このご恩、土地や金子などに、到底、変えられない
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
部下ほど難しい存在はない
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
真田は日本一の兵 いにしへよりの物語にも これなき由
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候
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『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし
+30
『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
関東勢百万も候へ、男は1人もいなく候
+46
『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
十万石では不忠者にならぬが一国では不忠者になるとお思いか
+37
『マルチョン名言集・格言集』
真田幸村
恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか
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『マルチョン名言集・格言集』
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