相川圭子の名言集・格言集
相川圭子
修行をして自分を見つめて、甘えとかエゴを落とさないと
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
人は、心にコントロールされているのですが、自分をコントロールし、自分が自分のマスターになっていくということが、人生の意味ではないでしょうか
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
本当のあなたは心の奥深くにあり、愛に満ち、知恵に満ち、生命エネルギーに満ちています
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
瞑想で自分が変容していくと、人を許したり感謝したりする“心の姿勢”が身につきます。すると、同じ相手のことを“自分に学びを与えてくれる人”と思えるようになる
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
疲れていたり、怒りや哀しみの感情に囚われて否定的なスイッチが入ると、悪いものを引き寄せてしまう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
ヒマラヤ秘教では前世が存在すると考えられていますが、過去生から心が連綿と続いていて、いろいろなカルマ(業)が記憶としてインプットされていきます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
無償の愛に進化させていくには、根源に繋がれればいい
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
生真面目な完全主義者よりも、力の抜き方が上手な人が楽に生きていることがあります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
究極の真理は永遠の存在です。あなたは今から本当の自分を信頼すること、そこにつながることで深いところから満たされる
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
何かを体験したら、それは学びだなあ、などと思うと良い
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
(ヨガを)健康や美容のみの為だと少しもったいないような気もします
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
欲しいものも全て手に入ります。ヒマラヤに行くまでに、自分で心理学やいろいろと癒やしというものを学びましたけれど、~中略~ 究極を知ることで、それらが全部がつながりました。その時、何もいらなくなりました。愛だけで、平和だけでいいんだなぁって
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
私たちが思ったり考えたりしていることは必ずしも事実と一致するわけではないのです。単に自分の過去の体験に対する印象や価値観で世界を見ているのです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分はこういう人間だという縛りを取り除くことでどんどん新しい挑戦ができるようになります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
本当に幸せになるためにまずは損得で図る人生を卒業しましょう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分の中に全ての答えがあります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分自身が愛に満たされ、その愛を子どもに注ぐと、相手を変えることができる
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
魂の源と宇宙の源が一体になる、そんな感じを感じ取れることは可能です
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
何かに影響を受けて流されないように、より一層自分自身の中心につながる必要がある
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
呼吸法は、ヒマラヤ聖者がサマディで発見したものです。基本的に吸う息は生命エネルギーを取り込み、生に通じます。吐く息は汚いものを吐き出すこと、死に通じます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
ヒマラヤに縁があり、アリババという偉大なる聖者に会いまして、サマディに到達することができました
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
瞑想をすることで、聖なる波動を浴びて、そのエゴを溶かすことはできます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
心はエゴ的なものに染まってしまう。そういったエゴを外して、本来の自分に気づいていく
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
人を変えようと思うことでストレスになります。ですから、自分が変わりましょう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分一人で瞑想をやっても、そこには愛がないんですね。瞑想のテクニックだけだから、励ましてもらえないし、頑張り過ぎちゃってやり過ぎてしまう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
愛も進化していかないとならない。良く思われたい愛とか、見返りを期待する愛とか、褒められたい愛とか、全部マインドの愛
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分は一体誰なのか、内側を目覚めさせて、どんどん浄化をしていく
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
人のストレスは、その人の記憶や思い込みが作り出しているのです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
(人類は)生まれて、死んで、生まれて、死んでを繰り返し、少しずつ進化していきます。それを一生で体験し、目覚め、浄化していく
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
根源の自分と繋がっていく
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
あれはダメ、これもNGとそこから進めると、この修行ができない人がほとんど
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
自分=マインドだと思ってるものが、本当の自分はマインドじゃないんです。そのマインドを超えたところに本当の自分がある
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
永遠の存在、真理を信じます。そのことで力をいただきます究極の真理に出会う。それを知ることが、人間が生きる深い目的です
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
人生こんなものだと諦めて生きるのはもったいないこと。多くの人は自分の可能性に気づいていないだけなのです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
ディバイン(神)の愛のエネルギーにつながっていれば、それは無限の愛だから。頭で考えた「マインド」を使った愛だったら疲れちゃう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
頑張り過ぎて気を遣ってる愛だから消耗しちゃうの
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
宇宙は常に動いていて、変化して、消えていく。私たちは人生を消化して、やがて“空(くう)”になっていきます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
頑張るエネルギーも「ありがとうございます」って、いただいていると思えれば、大丈夫なんだけど、「自分、自分」って頑張ってると、やっぱりエネルギーが枯渇しちゃって、うつになっちゃう
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
(純粋に)還っていくのが瞑想であり、セルフ・アライゼーション、自己の悟りと言いますが、決められた一定の期間、神我一如になる究極のサマディのステージに入っていきます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
禅の瞑想はひたすら座って自分と向き合います。ヒマラヤシッダー瞑想は積極的に宇宙の源のパワーを取り入れて魂のお掃除をします。宇宙の源と一体化し、変化しないところに行く。それが究極の瞑想の状態“サマディ”です
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
さらに良い社会を作るには、自分を愛し、相手を愛すということです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
みんなが幸せになり平和になることを強く願っています
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
世界は一つの家族だと思います
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
刻一刻変化する心を瞑想をすることで空っぽにして、素の自分に戻るわけです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
元々(人間は)純粋なんです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
苦手だというトラウマを取るには、心理的に取る場合と、身体で取る場合と、ディバイン(神のエネルギー)で取る場合と、本当は色々あるんです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
心っていつも動いていますよね。ちょうど波立っている海の表面のように、刺激を受けるとビックリするとか、競争意識が出たりとか、悲しみや焦りが出たりとか。海の深ーい所は、静寂があります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
ヒマラヤに行って、サマディに入ったら、全部よくなっちゃった。全部ゼロになっちゃった。生まれた状態になるというか、すべてを設計し直すみたいな感じです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
心は常に不足を見つけ、刺激を求め、享楽に溺れます
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
私たちは心が自分だと信じていますが、本当の自分は宇宙の源から送られた純粋な存在です
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
『〜せねばならない』というマインドに囚われると自他の欠点ばかり目について本人も周りも辛くなります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
身体の動きや心理を一つずつチェックして研究するのではなくて、自分が愛を持つことで皆が癒される。その真理、その究極の悟りがサマディなんです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
体操はカラダ、外側に効きますが、瞑想は魂、内側に効きます。体操をやっていても心はよくなりません
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
いずれ消え去る物事に心が常にリアクションしていると、過去のことを後悔したり将来のことを心配したりもします
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
形あるものは変化していきます。そういうものに執着していると苦しくなります
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
幸せになりたいと必死にかき集めた知識は、いわば借り物です
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
いつももっと上へ行って、皆に良いことを教えよう教えようと思って、色々勉強してた
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
私は昔から普通の女になりたくないなと、自立したいなという思いがあった
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
仕事でも何でも自分がやった分は自分に返ってきます。自分が苦労したらそれは全部自分の功徳、学びになりどんなことにも対応できる力強い人になれるのです
『マルチョン名言集・格言集』
相川圭子
瞑想というのは心とカラダを調和させ、心を空っぽにして“今ここにいる”感覚を得ることです