吉田松陰の名言集・格言集
吉田松陰を祀る松陰神社
- 松陰神社の御朱印やお守り≪無料駐車場や御朱印帳≫吉田松陰先生が祀られている世田谷区の神社となります。境内には松下村塾もあり、歴史を感じることができる人気のスポットですので、是非素晴らしい時間を過ごしてください…
吉田松陰
士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
目前の安泰は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちは、どうかいたずらに時を過ごすことのないように
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
死んだ後の業苦を思い煩うな
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない、世俗の意見に惑わされてもいけない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
君たち、狂いたまえ
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
いたずらに身を衛(まも)ることを知る者、いずくんぞよく国(やす)を安んぜんや
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
同じではない人を同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
学というものは進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸(すす)み、ついに死すとも悔(く)ゆることなくして、始めて学というべし
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するものであって、騒々しい状態では本物の立派な人物になることはない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
恥を知らないということほど恥ずかしいことはない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
積徳積善(せきとくせきぜん)でなくては大事は出来ず
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
俗人が見るのは形である。君子が見るのは心である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
勉強しない人の気持ちには3つある。ひとつ目は、「年をとりました」と。ふたつ目は、「馬鹿ですから」と。そうでなければ、「私は才能が高く、もう学問は極めました」と
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
天下のことをなすは、天下有志の士と志を通ずるにあらざれば得ず
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
賢明な君主や賢く優れた将軍など立派な上役というものは、まず心(腹)を決めるものである。上役の心が決まれば、部下たるもの、どうしてそれに従わないことがあろうか
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
得ることが難しく、失いやすいのは時間である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
今日死を決する安心は、四時の順環において得るところあり
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
人には賢い人、愚かな人がいるとはいえ、それぞれひとつやふたつの才能がない人はいない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。書というものは、何と恐るべきものだろうか
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
順境にある者は怠りがちである。また、逆境にある者は励みやすい
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置きまし大和魂
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
もし大将の心がふらふらしている時には、その下の将軍達にいくら知恵や勇気があっても、それを実際に使うことはできない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
世の中のことは、何であっても、全て自分の望み通りになるということは大変難しい
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
君子は、人として踏み行うべき義理の心が足りないことを恥じ、小人は、名誉がないことを恥じる
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しいことだ
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
人を用うるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。しかしてその人また自ら奮励し、大いにその忠思をのぶること、なお時雨(しぐれ)の化(か)するがごとし。もし大才能の人を些事賤役(些細なつまらない仕事)に役使すれば、その人必ず厭怠(えんたい)してこれが用たらず
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
立派な人が大事にするのは、議論ではなく行動である。多言を費やすことなく、人としての誠をしっかり蓄えなさい
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
どんな小さなことでも正しいか正しくないか、良いか悪いかという点において信念を失わないという頑固者でなければ、何をさせてもちょっとしたことしかできず、しっかりとしたことを行うことはできない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
君子は渇(かっ)すとも盗泉を飲まず
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
志をもっている人間は、何かを目にしたら、必ず心中に感じるものがある
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
やろうと思った事は、その日から始めるのがよい。年齢など気にすることはないのだ。 思い立ったが吉日である
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
あらゆる能力が備わっていることを、一人の人に求めてはいけない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
我は我が志を行わんのみ
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
君子に大切なことは、志と肝だけである。志がなく、肝がすわっていなければ、わずかな才能や知識があったとしても、何の役に立つであろうか
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
何事も ならぬといふは なきものを ならぬといふは なさぬなりけり
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
古より議論は易(やす)くして事業は難(かた)し
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
事をなすは誠にあり
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
古より大業を成すの人は、おだやかで人と争わず、ゆったりとして物静かである
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
創業は難しいようで易しい、守成は簡単に見えて難しい
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
材なきを憂へず、その材を用いざるを憂う
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
賢母あらば賢子あり
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
聖人の胸中は常に多事(多忙)にして楽しむ。愚人の胸中は常に無事(暇)にして楽しまず
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
進むこと鋭き者は、退くこと速かなり
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
仁人は天下に敵なし
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
天下 才なきにあらず、用うる人なきのみ、哀しいかな
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
学 ゆるむべからず、一日をゆるめば、まさに大機を失せん
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しとなす
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
才あれども勤めずんば、何をもって才を成さんや
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
一ヶ月でできなければ、二ヶ月かけてでもこれを成し遂げたい。二ヶ月でもできなければ、百日かけてでもこれを成し遂げたい。それでも成し遂げられないのであれば、出来るまでやめない
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
花は満開となればやがて落ちる。人は壮年になれば、老いていく。百年の間一生懸命努力が必要で、遊んでいる暇などないのだ
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
立派な人の行いは真面目で、正直であることが大切である。人を欺き、自分を偽る事は恥である。公平で正しい態度は全てここから始まる
『マルチョン名言集・格言集』
吉田松陰
立派な人は何事にも道理にあうかどうかを考えてから行動に移す。つまらない人は何事にも得するかどうかを考えてから行動に移す
『マルチョン名言集・格言集』
名言集・格言集
- 日取り・日柄の良い日日柄の良い日というのは気分が良いですよね。やはり幸せな毎日を過ごす為に日取りを気にした生活を送ることが賢明な判断ではないでしょうか…
吉田松陰の大河ドラマ
- 吉田松陰の大河ドラマ大河ドラマ「花燃ゆ」嘉永3年。文は若くして兵学師範として長州藩の軍事調練を率いる兄・吉田寅次郎(のちの松陰)を誇らしく思っていた。松陰は11歳にして藩主・毛利敬親に兵学を講義…
吉田松陰の松下村塾
- 吉田松陰の松下村塾安政2年。吉田松陰は実家である杉家に幽閉の身となりました。野山獄で行っていた獄中講義が評判となり、松陰の元に親類や近所の人たちが松陰の教えを請いに集まってきました。そこで松陰は講義を始め、のちに松下村塾を主宰することになります…