森英恵に関する名言集・格言集

hanae

森英恵(もり はなえ)
生誕:1926年1月8日
出身:島根県
ファッションデザイナー
死去:2022年8月11日

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※個人名での名言は発言者を変更させていただいております。

森英恵

時代を変えていくのは、常に人間なのです。次はあなたが、やり遂げようとする強靱な「意志」と尽きない「好奇心」を胸にたたえて、あなたの世界で、誰も見たことのない新しい扉を開いていってください

+21
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

きのうの自分を乗り越えて、日々新しく、前に前に進んでいくことです。私が綴ってきたたたかいのドラマは、過ぎ去った誰かの記録ではなく、きょうを切り開くあなたの道標であっていただきたい

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

若い人たちには、周囲を見回して無難に生きようとするのではなく、自分の今いる場所をしっかりと踏みしめながら、積極的に社会に関わっていこうとする生き方を大事にしていただきたい。その先に、世界に関わっていける自分の舞台もあると思うからです

+11
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

私のように世界で〝たたかって〟きたと自負する人間から見ると、日本という国はやはり均質ですし、いろいろな意味で守られた穏やかな世界です。そこでは、世界を見据えてたたかうことは、とても至難なことなのかもしれません

+10
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

いいものを持っているということと、それを人に伝えられることは別次元の問題です。黙っていてもわかるというのは通用しません。個人においても、あるいはビジネスや政治の世界でも、きちんと意思を伝え、また相手の思いを理解するということは重要な問題です

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

誰かのようになるのではなく、自分が背負っているものの価値を、きちんと咀嚼し表現してきたこと。そこが、西洋の人びとにも認められたのでしょう

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

(日本人の自分と西洋人の彼らとの違い)彼らは、毛皮や刺繍などで豪華に飾り立てていく〝プラス〟の感覚。対する私は、作っていくうちに余分なものを削ぎ落としてコアな部分を探求する〝マイナス〟〝引き算〟の感覚でした

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

21世紀に入り、ファッションの世界がどう変わっていこうとしているのか。素材や縫製技術の進歩で、〝縫わない服〟というのも登場してきました。また、地球温暖化というような課題の中で、環境に優しいもの、あるいは男と女の着るものが多少近づいてくるような傾向も出てくるでしょう。ある種、ユニセックスにもなっていく中で、いかに男と女の違いを表現していくかも、新しいテーマになりそうですね

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

オートクチュールという伝統の世界で受け継いだものも含め、〝着物の国〟にも文化として根づいた洋服の世界を、どう次の世代に引き継いでいただくかが私の重要な役割になってきました。2004年にオートクチュールの世界からは引退しましたが、現在は「森英恵ファッション文化財団」の理事長として、次の時代を開くたたかいを始めています

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

1996年には、ファッション業界として初めて「文化勲章」を拝受しました。私の功績云々というよりも、かつて軽く扱われてきたファッションが、ようやく日本でも正々堂々と「文化」として認められる時代が来た。そういう意味で、ありがたく思いました

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

〝着物の国〟に生まれ育った私が、洋服の本場である欧米で仕事をし、それが欧米の人々にも認められた――。

1989年、フランス革命200年を記念する年、フランス政府から光栄にも「レジオン・ドヌール勲章」をいただいたことは、その一つの証として嬉しいものでした

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

この、日本女性らしい清々しい『マダム・バタフライ』に携われたことで、私の積年のわだかまりは吹っ切れたように思いました

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

最初に、この舞台(浅利慶太演出による『マダム・バタフライ』)の衣裳のお話をいただいた時、私は「これは自分のやるべき仕事だ」と思いました

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

週に2回は市場にまとめ買いに行き、自分の眼で食材を選んで、きちんと家族の食事を作りました。これは、パリでの暮らしが始まっても同じでした。私の母も料理好きで、美味しいものを人に食べさせるのが大好きな人でした。そんな母の心が、私の中にも息づいていたのかもしれません。「食」は人間の基本です。家族を支え、支えられ、家族との「食」を大事にするということは、思いのほか人生にとって重要なことだと私は思っています

+10
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

忍従して生きろというような古めかしいことを言うつもりはありません。ただ、地球の上には男と女しかいないのですから、互いが感性を刺激し合い、魅力を表現していくことは重要だと思うのです

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

思えば世界を住みかに仕事に走り続けてきた日々。意外に思われるかもしれませんが、私がこうやって仕事に力を注げたのは、一方で家庭を営み、子どもを育ててきたからだと思っています。ひと頃、男のように生きて振る舞う女性がカッコイイともて囃された時代もありましたが、私は女性は女性としてあることが、やはり本来の美しさだと考えています

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

93年の皇太子殿下と雅子妃のご成婚では、妃殿下のローブデコルテをデザインさせていただきました。この時は、マスコミのスクープ合戦が激しく、アトリエに鍵をかけて極秘で制作を進めたものでした

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

カルダンなどに続いて、いち早くライセンス・ビジネスを手がけたのも理由がありました。オートクチュールのクチュリエは、大変なお金と時間を費やして、一点一点、作品を作り上げていきます。そこで培った技術や哲学のようなものを、どうやって産業に役立て、社会に還元していくか。それが、ライセンス・ビジネスのスタートでした

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

私は中国の人たちに思いを伝えました。「重要なことは、あなたたちが中国人だということです。長い歴史と伝統、つまり中国のアイデンティティーを活かすことです。私は世界で仕事をしてきたけれど、アイデンティティーは日本人であり女性です。創作は世界に通用しなければならず、外国を知る必要があるけれど、それは自分を捨てることではありません。十分な知識を持って、世界の人たちが理解しやすいように、自分を表現してきたのです」

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

常に自分を向上させ、前に進もうと思えば、いつだって困難の連続でしょうし、行き詰まることだって当然なのです。私は、行き詰まった時は、自分が一歩、階段を昇る時だと心得ています。パリに舞台を移した当初、たしかに疲れることも多くありましたが、私は「向かうところ敵なし」というくらいの気構えで、たたかってきました。今ふり返れば、すべてが楽しい記憶です

+13
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

残念ながら昨今は、出来るだけ苦労をしないで稼ぐことが賢いようにすら思われているようです。けれども、働く上でプロ意識も持てず、ただ要領よくお金だけ手に入ればいいという生き方では、自分が惨めです。社会から何を手に入れるかということではなく、自分が社会に何を与えていくのか。どんな仕事あるいは立場であれ、その向かい合い方が重要ではないのでしょうか。教育を受けるというのは、単に試験に受かっていい学校に進むためではありません。自分が社会に関わっていく生き方と能力を身につけていくことなのです

+13
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

仕事の価値観や形態が変化していくのはやむを得ないとしても、どんな形であれ対価として収入を得る以上、やはり「プロ意識」を持つことが大事だと私は思います

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

何の世界であれ、たたかいを起こす以上、勝たなければなりません。イチかバチかの心境で、高価なカシミヤの布地をマネキンに巻きつけて、スタッフの衆目が見つめる前で手品師のようにハサミで立体裁断し、コートにして見せたこともありました。ファッションの本場にあっての「マダム・モリ」への信頼と尊敬は、真剣勝負の中でたたかいとっていったものだったと私は思っています

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

揺るぎない「志」と、尽きない「好奇心」、絶えざる「努力」があったからというしかありません。女優の個性を出すために工夫を重ねた映画時代、厳しい消費の波にもまれながら勝負したニューヨーク時代、すべてが財産となって私を押し上げてくれたのです

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

オートクチュール組合に入るにあたっては、ピエール・カルダン氏やユベール・ド・ジバンシィ氏らが、強力に後押しをしてくれました。私は約1年かけて準備をし、ニナ・リッチやディオール、ウンガロなど高級店が並ぶモンテーニュ通りにメゾンを構えました

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

秋に開催したモナコでのショーは大成功でした。そこで、帰り道にパリのホテルモーリスでもモナコと同じショーを開きました。私にとって、パリでは初めてとなるショーです。ソフィア・ローレンさんや指揮者の小澤征爾さん夫妻も駆けつけてくださり、こちらも華やいだものになりました。ヨーロッパの著名なファッション・ジャーナリストであったエベ・ドゥーセ女史が、楽屋に来ておっしゃいました。「あなた、パリに移りなさいよ。うまくいくわよ!」

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

アメリカでのビジネスはきわめて順調だったものの、新しい挑戦をしなければと思い始めていた1975年(昭和50年)、モナコのグレース王妃から招待状が舞い込みました。

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

ベトナム戦争が泥沼化していくと、マリファナが流行ってサイケデリックな色彩が溢れるようになりました。ヨーロッパへ行って、「光と影」でシックな服を作りたい。そういう欲求が私の中で高まってきました。「自分の弱点を補強して進む」ことは、とりわけクリエーターの重要な要素です。色彩だけではなく、次は形(フォルム)にも挑戦してみよう。そんな気持ちを募らせていた頃、モナコのグレース王妃からお誘いがあったのでした

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

当時のアメリカでは、デザイナーのカテゴリーが細分化され、私の場合は「きれいなイブニングドレスを作るデザイナー」というイメージが確立されていました。「色彩でストーリーを描く」という自信はあったものの、「こんなにも色で人々を眩惑していたら自分の眼がダメになってしまうのでは」という心配も生じてきました

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

ファッションを熾烈なビジネスとするアメリカでたたかった10年は、華やかさだけではありませんでした。自分の創造性よりも、商品としての価値のほうが優先される懸念もありました。私の名前はすっかり「マダム・バタフライ」として有名になりましたが、少しでも蝶を使わないと、「あなたの蝶々はどうしたの?」と心配されます

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

惨めな「蝶々夫人」しか知らなかった欧米人に、日本の美と素晴らしさを伝え、日本のファッションを通して日本女性のイメージを変えさせてみせる。私を支えていたものの一つは、そういった「志」でもあったと思います。社会にどう関わって、どう責任を果たしていくかという「志」は、いつの時代にどういう分野で仕事をするにも重要なはずです

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

「日本人である」こと。そして「女性である」こと。私は、自分のアイデンティティーを創造の源泉に据えました。アメリカは華やかなものが大好きですから、私が持っていった蝶々のコレクションは好評でした。『ヴォーグ』に初めて取り上げられた作品もアゲハ蝶のドレスでした。名高い服飾評論家のユージニア・シェパード女史は、私の作品を「East Meets West」と評してくれました

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

日本が外国人デザイナーを手放しで崇拝しながら、日本人デザイナーだというだけで正当に評価しないなら、私は世界という舞台で外国人デザイナーと同じ土俵で勝負するしかない――。それはちょうど、島根から東京に出てきた時と同じような気持ちでした。異なる文化の中で、英語やフランス語を身につける大変さもありましたが、私は勇気と好奇心をみなぎらせて「新しい世界」に飛び込んでいったのです

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

やがてレーガン氏が大統領になられ、在任中には私も三度、ホワイトハウスの晩餐会に御招待していただきました。鈴木首相の訪米や、皇太子時代の今上陛下が美智子妃と共に訪米された折にも、お招きいただきました。自国の顔として、ファッションはもちろん、さまざまな教養を自分のものとし、優しい気配りを忘れないファースト・レディーたちの生き方には、たくさんのことを学ばされます

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

I・マグニンから〝スペシャル・オーダー〟でイブニングドレスの注文が季節ごとに来るようになりました。そのお客様が誰なのか知る由もなかったのですが、ある日、カリフォルニア州知事となったレーガン氏の訪日の際、あなたのスタジオを訪問したいという連絡が入ったのです

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

デザイナーは、直接に顧客とまみえることはありません。欧米のファースト・レディーたちが私の服を着てくださっていることを、偶然見たグラビアなどで知ることもありました。モナコのレーニエ大公に見そめられて王妃となったグレース・ケリーや、のちに大統領夫人となったナンシー・レーガンも、私の作品をずいぶんと愛してくださいました

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

(1965年1月ニューヨークでの)ショーには、『タイム』『ライフ』『ヴォーグ』はもちろん、新しいものが大好きなアメリカのプレスが、地方からも多く集まっていました。舞台の様子は楽屋からは見えずハラハラしていましたが、会場からは盛大な拍手が聞こえ、モデルたちが徐々に興奮しながら楽屋に戻ってきます。ショーは大成功に終わりました。涙が溢れました

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

後年、すっかり私のトレードマークと見なされる蝶々も大胆にプリントしてみました。それは、『マダム・バタフライ』で惨めに描かれていた日本女性像への私の抵抗でもありましたし、六日市町の野原を飛び交っていた蝶々という私のアイデンティティーでもありました

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

まずニューヨークでショーを開くと決めると、私は準備に奔走しました。自分のアイデンティティーである日本というものを表現しながら、彼らが見たこともない日本を持っていこうと思いました。立体的な裁断を学ばせるため、アトリエのスタッフをサンフランシスコの学校に派遣して勉強させたりもしました

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

私の〝たたかい〟が始まりました。アメリカではファッションは産業でありビジネスです。つまり、「商品」としての競争力が要求されました。日本にある生地の多くは外国製で高い関税がかかっていますから、これを使っていては競争に勝てません。日本を正当に評価させるためにも、何もかも日本製で勝負してやろうと思い、和服の生地に着目したのです。生地の産地を訪ね歩き、ずいぶんと研究を重ねました

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

日本のデザイナーが来たということで、有名なファッション・コラムニストがインタビューにみえました。ところが、どうも話が噛み合いません。彼女は私を和服のデザイナーだと思い込んでいたのです。「洋服のデザイナーなんて日本にいるの?」「日本の女性は着物を着ているんじゃないの?」という具合だったのです。戦後16年、日本はアメリカをお手本とし、アメリカ文化をよく理解していたのに、日本はまったく理解されていなかったのでした

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

アメリカは、いいものはいいと評価して受け入れる国です。ジャクリーヌ・ケネディー(大統領夫人)の主任デザイナーだったオレグ・カッシーニ氏を訪ねた際も、明るく「ウエルカム」と迎えてくれました。

チームを用意するから2ヵ月滞在してコレクションを作らないかと誘ってくれるアパレルメーカーも現れました。

東洋から来た新しい才能にも快く手をさしのべる風土に、「ニューヨークでやってみよう」という心が固まりました

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

パリから戻った年の夏、ニューヨークに渡りました。パリはやはり閉鎖的で、即座に仕事をする環境ではなく、それなら新しい国であるアメリカでと思ったのです。

しかし、周囲はそろって心配し猛反対しました。もし失敗したら、デザイナーとしての評価に命取りになると思われたのでしょう。

唯一、「クリエーターはやりたいと思っている時にやるのが一番だ」と理解を示してくれたのは、夫でした

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

洋服の本場であるヨーロッパに触れて、私の中には、あらためて日本という国を見つめるまなざしが生まれたように思います。何世紀も続いた和服の伝統は、素晴らしいテキスタイル(織物)の文化を育んでいます。反面、やはり男性上位の日本社会では、女性は男性の眼を意識して着物を着ていたわけです。その国に、西洋の伝統文化としての洋服、それも「女のための服」を理解させるというのは、大変な挑戦に違いありません

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

三度の仮縫いが終わる頃には、もう日程を切りあげて早く日本に帰りたいと思いました。パリからドイツに小旅行し、本場のゾーリンゲンのハサミをあれこれ買い込みました。それほど気持ちが豊かに蘇生していたのでしょう

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

いつも黒子に徹し、実際に黒い服ばかり着ていた私には、そのオレンジ色のブラウスの付いたシャネルスーツは新鮮でした。目立たないことを美徳としてきた日本に対し、この国では個性は目立たせるものという考えが貫かれていました。最初は派手すぎるように思っていた私も、三度の仮縫いが進むうちに、自分の身体まで軽くなっていくような気持ちになったのです

+5
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

思い立ってシャネルの店を訪ねてみました。他人の服を作ってきた私だけれども、今度はお客になってみたいと思ったのです。東洋人のお客は、私が初めてだということでした。ココは、私の黒い髪を豪華だと誉め、「あなたは太陽の国から来たのだから」と燃えるようなオレンジ色を勧めてくれました

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

好きなことを仕事にすれば 仕事をしているとは思わない 好きになること

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

この作品(オペラ「夕鶴」)は、原作から出演者まで全て日本人によるメイド・イン・ジャパン。それを表現するスタッフとして関われることは、とても嬉しい

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

(服飾人生の原点)やっぱり、戦争だと思います

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

デザイナーとして活動を始めて60年以上が過ぎましたが、きれいな服を作りたいという思いは全然変わらない。私の原動力です

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

頑張って日本で自分を磨き、ルーツに根ざした個性で海外に出る気概がないと通用しない

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

地球上には男と女しかいないのだから、女はやさしく男は逞(たくま)しく、お互いの引力を大切にしよう

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

真珠は気品があり、身につけると装いも気分も改まった感じになる

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

手仕事のすばらしさを感じる服は、ささっと作られた服とは違います。着心地が良いもの、本当に美しいものはジェネレーションには関係がありません。私はアメリカで日本製のチープなものが売られていることに憤慨して海外で仕事を始めました。手仕事で丁寧に作られた服を通して若い世代に日本の美意識や伝統を受け継いでもらいたいと思います

+3
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

言葉で多くを語らなくても、ファッションが語ってくれます。日本人として、日本の美意識を理解してくれるように作っていくというのが私の理念です

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『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

手で作るということは『古い』と思割れるかもしれないけれど、手でつくることのそのおもしろさ、喜び、大切さ、楽しさを若い人にもっと知ってほしい

+4
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

男性のデザイナーが作った服を着ているのは服が美しく見えたんです。でもシャネルのものは服が光るのではなく、モデルが光る。女が作る女の服は違う。女性を美しく見せるための服を作りたいと思いました

+7
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

過ぎたことを振り返るようになったら引退したほうがいい

+7
『マルチョン名言集・格言集』

森英恵

日本のファッション文化は戦後70年で大きく変わりました。最近、六本木の街を歩くと、男なのか、女なのか、若いのか、年寄りなのか、分からない人が増えている。「着る」という文化が、停滞しているように思えてなりません

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『マルチョン名言集・格言集』

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